掃除が大好きな私は実は汚実家育ちでした

私の実家は物が多くていつも散らかっていました。

今回のお話は結婚後余計なものを持たない暮らしに目覚めた私の自分語りというやつです。

ただ、恵まれた環境でなかったなどと愚痴を言いたい訳ではないのです。

単に汚実家で育ったという事実が与えたであろう影響について淡々と考えてみたいだけなのです。

父には本当に感謝しています。

仕事で忙しい中、突然男手一つで娘二人を育てなくてはならなくなったのです。

昭和生まれの男性が、一手に育児家事仕事を引き受けなくてはならなかったのです。

きっと相談相手もいなかったでしょう。

そんな中でも父は私と妹を成人するまで育て上げてくれました。見事ではないですか。本当に感謝してもしきれません。

父に全てのことを押し付け、わがまま放題で家庭を顧みなかった私が父に文句など言おうはずがありません。

父子家庭って、娘が家事など協力的なイメージがあります。

ですが、我が家はそうではありませんでした。父は本当に大変だったことでしょう。

これで家がキレイに整っていたら父は超人です。だから、家が散らかっていたのは仕方ないのです。

けれど今でもはっとします。

何かが違っていれば、私は実家の真似をして多くのものに囲まれて暮らし続けていたかもしれないと。

実際に私の妹は実家とよく似た状態の家を一人暮らしで作り上げてしまっています。

何が私と妹を分けたのかな?と思うと感慨深いです。

目次

私の汚実家時代の当たり前を振り返る

今は無き実家の写真です。こんな状態ですが普通に生活していました。

汚実家時代の当たり前を振り返ってみようと思います。

私の場合ですので、ご参考までにご覧ください。

汚実家育ちはその状況が異常だと認識できないのかもしれない

子供は親を見て育つ、とはよく言ったものです。

その通りだと思います。

特に育った環境というのは良くも悪くも子供の性格や習慣の形成に大きな影響を与えます。

無意識に自分の親は正しいはずだ、と思ってしまっているので親が間違っているかもしれないとは考えません。

自分の家の状況があまり良い方ではなかったということに気が付いたのは随分後になってからです。

家が汚いことが子供に及ぼす悪影響は計り知れないと、今では思います。

物がよくなくなりました探すより買う方が早いのでお金をどんどん浪費していたと思います。

私は情緒がとてつもなく不安定でした。性格や家庭環境など色々な要因が影響したでしょうが、住環境さえキレイであればもう少し穏やかでいられたのでは?と思ってしまいます。

掃除が行き届いておらず恐らく不潔だったはずです。いつも肌荒れに悩んでいました。

ただ、家が汚いだけでネグレクトだった訳ではないので服などは古くなれば買ってもらえていましたよ。

不都合は多々あったのに、なぜか散らかった状態を脱せなかったのです。不思議です。

色々不便だね、じゃあ掃除して改善してみようか、とはならなかったのです。

家に物が溢れかえっているのが当たり前の環境でした

私はたくさんの物に囲まれて育ってきたようです。

小さい頃は家が散らかっていることもよく分かってなくて。

小学生になって友達の家に遊びに行くようになって、なんとなく「友達の家はキレイだ」と思うようになります。

でも自分の家も片付ければキレイだし、と思っていました。

片付けないからとっ散らかっているけれど、片付ければ、溢れているものをどうにかしまいこめばキレイに見えたのです。

片付けなさい、とよく怒られていた

思い返せば父はキレイ好きだったのかな?と思うのです。

なぜならよく怒られていました。

「散らかすな」「片付けないと全部捨てるぞ」などと。

よく怒られていましたが、片付け方は教わっていないかもしれません。

片付けないと捨てられるから、とりあえず自分の部屋に避難させて。

父がしているように押し込んだり詰め込んだりするような収納をしていました。

父は散らかってくると収納ケースなどをを買ってくるタイプでした。

そりゃあ片付かないわと今では思います。

捨てられない家族だったのかも

父は読書が大好きで、読んだ本をどんどん溜めこんでいきました。

押入れにプラケースを入れて本を敷き詰めて。

パソコンデスクの下段は本が何段にも敷き詰められて。

競馬を見るのが好きで、撮りためたビデオを段ボールに保管していました。

いつかゆっくり見るのだと言って、嬉しそうに。

私も漫画が好きでどんどん増えていく漫画を押入れに入れたりベッド下に収納したり本棚を買って並べたり。

妹も似たようなものでお互い教科書やノートをいつまでも保管していて、お気に入りのものはもちろん、興味を失ったものでさえも捨てられず持ち続けていました。

実家にいる頃は明らかなゴミしか捨てたことがないかもしれない

掃除というのはあふれたものをキレイに片付けることだと思っていた

物が多い状態なので、生活しているとあちらこちらで収納に収まりきらないものが床や家具の上に山積みにされていきます。

掃除片付けというのは、それらのあふれた物を何とかしてキレイに並べたり詰め込んだり押し込んだりすることだと思っていた節があります。まるでパズルのようです。

断捨離という発想がなかったです。

使えるものやごみでないものを捨てるなんて。

親は良く言えば物を大事にするタイプだったので、私もゴミ以外を捨てるという習慣が身に付いていませんでした。

ストックしがち

棚の中や洗面台下の収納にはこれでもかという程洗剤や日用品のストックが置いてありました。

大人になってからは、私も積極的に買っておいてました。

ストックを一個使ったから2、3個買ってこようという訳の分からない思考回路でした。増える一方です。

たくさんあるストックを見て安心感を覚えるのです。

管理できない量の物を家中に抱えていた

どの部屋も物でいっぱいの状態でした。

何がどこにあるか、とうにわからなくなっています。

物はたくさんあるのに必要なものがどこにあるのかがわからないので必要なものは買うしかありません。

奥の方にしまい込まれたものは、自分たちに必要のないものだという発想はなかったのです。

いつかの為に、何かの為に、とってあるものだという認識でした。

目に飛び込んでくる情報が多すぎていつも疲れがち

家中に色々なものが溢れているので、目に飛び込んでくる情報量もすさまじく、脳が疲れていたのかもしれません。

体力はありませんでしたし、今よりも栄養バランスが整っていた食事を摂っていたにも関わらずひどい貧血でした。

思春期だったからかもしれませんが。

家にいても気が休まらないという感じは常にありました。

やるべきことが多すぎて、それをするには時間がないので目を瞑るしかなかったのです。

何よりも寝るのが大好きだった

実家にいた頃はよく寝ていました。基本的には早寝でしたが時間の許す限り寝ていたかったのです。

私は寝るのが好きなのだと思っていましたが、実家を出てからはほどなくして早寝早起きの習慣が身に付きました。

今では時間があるのに寝て過ごすなんてもったいないとさえ思ってしまします。

当時は情報量が多すぎて寝ていることで現実逃避していたのかな、体力温存していたのかな、なんて思ったり。

私がシンプルな暮らしに目覚めた理由として考えられる2点

片付けられなかった私が変われた理由として、2点浮かびました。

①実家の遺品整理が大変すぎた

これに尽きます。

父が亡くなった後の実家の片付けは大変の一言に尽きます。

とにもかくにも物が多すぎて。

どう分別してよいかもわからない大量の物達

向き合いたくない長年の不始末と向き合う日々でした。

あんな大変な思いはもう二度としたくない、と思ったからこそ自分の暮らしを見つめ直すことにつながったのかな、と思います。

けれど疑問も残ります。

妹も同じ作業を経験しているのになぜ汚部屋?

私と妹とを分けた要因として考えられるのは次の点でした。

②仕事が忙しすぎない

この「忙しくない」というキーワードがとても大事かもしれないと思います。

私も結婚初期は仕事と家事と不妊治療とでてんてこまいで暮らしを見つめる余裕も時間も持てませんでした。

忙しいという漢字は心を失くすと書くそうです。

私は不妊治療をリタイヤして、家電の力を借りて家事の負担を減らし、仕事も18時までにしてもらって。

そこでようやく自分の時間を毎日持てていると感じることが出来るようになりました。

自分の時間が持てたことでようやく暮らしやすくするためにどうすればよいか、という部分にまで考えが及ぶようになりました

それ以前は家の様子など気にかける余裕も元気もありませんでした。

以前の父と同じように妹も仕事が忙しく暮らしを見つめることが叶わないのかなと思うのです。

家事分担をできない状況ならなおさらのことだと思います。

掃除や片付けに没頭する為にはどうにかして忙しい状況から抜け出さなければならないのかもしれません。

忙しくて、部屋が散らかったままになってしまって、メンタルも不安定になってしまって。という負のループを抜け出すのは簡単なことではないかもしれません。

汚実家のような状況には二度となりたくない

あの環境を脱して思うことは、今の方が楽しくて幸せだということです。

お気に入りのものに囲まれて送る生活。

好きな時に好きなことを出来る時間的、精神的、経済的な余裕。

見たくないものは遠ざけますし、したくないことはやらなくて済むように考えます。

なんとなく日々を浪費していたあの頃とは違って、今は自分の人生を自分で切り開いて選択しているような気がしています。

以前は人に気に入られたくて、周りに合わせてばかりいました。

自分のしたいことがわかりませんでした。

なので実家を出た後も実家での生活を思い返して、父の生活の真似をしてきました。

そんな時、父が亡くなり実家を片付けることになりました。

終わりの見えない片付けをしながら、このままでは私も同じような道を辿ることになるのだと悟りました。

誰かに膨大な後片付けをしてもらうことになってしまう。

そのことがきっかけで、今の自分には必要のないものを削ぎ落すことが出来るようになっていったのだと思います。

起こってもない未来の心配をすることもやめました

何かの為にと物を取っておくとキリがありません。

その時に対処する、という覚悟を持って物は手放しました。

と、同時にだんだんと自分の素直な気持ちを表すことが出来るようになってきました。

自分で選んだ選択肢では時には失敗も経験しますが、なぜそうなったのかを振り返って繰り返さないよう学びますし、失敗から得られることも多いので成長できると思っています。

上手くいかないことがあると「運が悪い」だの「私は悪くないのに」などと愚痴っていた頃とは違います。

いくら不幸を嘆いても現実は変わりませんでした

自分で行動しなければ何も動き始めませんでした

最期にそのことに気付かせてくれた父にはやはり感謝しかありません。

掃除が出来る幸せをかみしめています

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